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◆オリックス4―1ソフトバンク(1日・京セラドーム大阪) 歌手の長渕剛(52)が親交の深い清原の引退セレモニーにスペシャルゲストとして“参戦”し、清原の打席に入るときのテーマ曲である「とんぼ」を熱唱した。2000年に出会った2人はこの名曲から結ばれ、苦楽を共にしてきた。長渕は作った当時と、清原にささげた今の「とんぼ」に込めた思いを激白。この曲の持つ意味を大きくしてくれた盟友・清原に感謝の思いを伝えた。

 白球という幸せの“とんぼ”は、一体、どこへ飛んでいくのか。長渕は清原の最後を迎え、意外とも思える言葉を口にした。「僕はあんまり悲しくないんだよ、和博」音楽界、野球界でそれぞれ栄光と挫折を味わった2人。その時間を共有し、戦い続けてた盟友。送り出す絶唱に涙は、いらなかった。

 「僕はこう受け止めているんだ。これから『とんぼ』は、お前の現役から生涯野球という“ページ”へと飛んでいく。今度は球界のリーダーとして引っ張っていくんだ。お前は野球人生への『極み』に入っていく。幸せ者だよ」白球の終着点はここではない。新たな一幕へ、放たれたのだ。

 故郷の鹿児島から一流の音楽家を目指し、福岡、そして東京に出てきた時。「音楽界に潜んだ真っすぐでないことにぶつかった」と味わった挫折を長渕は詞に込めて、この名曲は生まれた。一方で清原も『とんぼ』=『白球』、『花の都 大東京』=『巨人』といったように、この歌詞に自分を重ね合わせ、どんな時も奮い立たせてきた。

 「不幸せになるために、『とんぼ』は飛んでいるのではないんだよ」と不条理な世の中に牙をむき、戦い続けた2人。すべては幸せであり続けるために叫び続けた言葉だった。「アイツにとっての幸せは白球を追い続けること。それが他者を幸せにすることであり、自分を幸せにする。そういう精神性がこの歌には込められているんだ。曲を作った時よりも、和博がこの歌を大きくしてくれた。とても感謝しているよ」これまでは『とんぼ』という白球を遠くへ飛ばすことが清原の使命だったが、これからは、その白球に自分の夢と希望を乗せて、野球界で羽ばたいていくことを期待した。

 長渕も清原の歩みから幸せをもらった一人だった。「あれだけ傷ついて、精神的にも肉体的にも彼はボロボロですよ。だけど、その精神で無様な格好で、野球に己(おのれ)をたたきつけるという男がそこにいる。これが日本人の等身大の姿。オレが弟みたいに慕った男、オレのことを兄貴と思って慕ってくれた男がそこにいるということが僕にとって幸せなこと」と感謝し、同時に尊敬の念があふれ出た。

 固く結ばれた2人の物語は終わらない。「和博は先に現役を“卒業”した。エールを送るために『とんぼ』を歌ったんだ。次にあいつに歌うときはいつかな…。アイツが棺おけに入った時に、また歌うよ。でもオレが先に入ったら、アイツがオレのために歌うんだろうな」万人が愛した『とんぼ』は、大きく羽を広げ、まだまだ果てしなく飛んでいく。

 ◆長渕 剛(ながぶち・つよし)1956年9月7日、鹿児島県生まれ。52歳。78年「巡恋歌」でデビュー。ヒット曲に88年発表の「とんぼ」やミリオンセラーとなった「乾杯」などがある。歌手活動のほか、俳優としても活躍。清原との付き合いは99年、知人から清原が自身のファンであることを聞き、激励の手紙を送ったことがきっかけ。00年5月の大阪城ホールでのコンサートで初対面。以後、親交を深めた。04年8月には桜島オールナイトコンサートを開催し、7万5000人のファンを集め、話題を呼んだ。家族は悦子夫人、長女で女優の文音(あやね、20)と1男。

参照元:スポーツ報知

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