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 人間国宝の歌舞伎俳優・中村又五郎(なかむら・またごろう、本名・中村幸雄=なかむら・ゆきお)さんが21日午前4時10分、老衰のため東京都内の自宅で亡くなった。94歳。又五郎さんは1921年に初舞台を踏み、名子役として活躍。以後、女形から立ち役、老け役まで長年にわたって幅広い役柄をこなす名脇役として歌舞伎を支えた。最長老の死に、多くの役を教わった中村吉右衛門(64)、中村勘三郎(53)もショックを受け、悲しんだ。

 又五郎さんの死に、歌舞伎界が悲しみに包まれた。大正、昭和、平成と芸の道を究めた名脇役が21日早朝、眠るように息を引き取った。

 7歳から子役として舞台を踏み、初代中村吉右衛門の下で修業。ほかにも名優の6代目尾上菊五郎の薫陶を受け、女形から立ち役まで幅広い役柄をこなした。作家の故・池波正太郎さんがその芸と人柄にほれこみ、「又五郎の春秋」を執筆し、小説「剣客商売」の主人公・秋山小兵衛のモデルにしたほどだった。

 その一方で、国立劇場の歌舞伎俳優養成事業の主任講師として、数多くの歌舞伎俳優を育て上げた。そして、お師匠番として、昭和の名優から学んだ芸を、現代の歌舞伎俳優に“伝承”するなど、橋渡し役として、歌舞伎界の隆盛を陰で支えた。

 吉右衛門は「初代(吉右衛門)の魂を受け継いだ最後の方。あれだけの脇役がいるといないとでは大きな違いがある。主役を立ててくださる方でした。寂しさと不安と頼りなさが残ります。これから先、どうやって若い人を育てていくのだろうと…。優しい方で温かい人柄でした。ご冥福をお祈りしたい」としんみりと思い出に浸った。

 勘三郎にとっても恩人の一人。勘九郎としての初舞台で共演し、04年の勘九郎最後の舞台でも、「今昔桃太郎」で共演を果たした。「(あの舞台は)今、思い出しても涙が出るくらいうれしかった。とてもフレンドリーで、もっと色々な役を教わりたかった。多くの歌舞伎役者を育てた人です。おじさんがいなかったら、今の歌舞伎の幕が開かない、それだけの人」と功績をたたえた。

 20年前に胃がんの手術をした際、3日後にお見舞いに行ったところ、又五郎さんは病院にいなかったという。「点滴をしたまま、国立劇場に教えに行ってたんですよ」と後進の指導にかけた熱い情熱を思い出して涙をぬぐった。

 又五郎さんの最後の舞台出演は06年4月の歌舞伎座「六世中村歌右衛門五年祭追善口上」だった。今年1月2日の「歌舞伎座さよなら公演古式顔寄せ手打ち式」に出席したのが最後となった。

 ◆中村 又五郎(なかむら・またごろう)本名・中村幸雄。1914年7月21日、初代中村又五郎の長男として東京に生まれる。21年1月、市村座で2代目又五郎を名乗り初舞台。61年に東宝に移籍したが、その後、松竹に復帰。70年に開設された国立劇場の歌舞伎俳優研修所の主任講師を30年以上務めた。75年に紫綬褒章、84年に勲四等旭日小綬章、96年、日本芸術院賞、97年に人間国宝に認定され、99年に菊池寛賞を受賞。屋号は播磨屋。


参照元:スポーツ報知

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