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「有楽町で逢いましょう」「君恋し」などのヒット曲で知られる歌手のフランク永井(本名・永井清人=ながい・きよと)さんが先月27日午後6時、肺炎のため都内の自宅で死去していたことを2日、所属レコード会社が発表した。76歳だった。1日に葬儀・告別式が密葬で営まれた。1985年に都内の自宅で自殺未遂。一命は取り留め、リハビリを続けていたが、復帰できぬまま帰らぬ人となった。

 “低音の魅力”でムード歌謡をリードし、都会派歌謡の第一人者と称された国民的歌手が、亡くなった。

 関係者によると、永井さんは長年にわたり都内の自宅で療養生活を送っていたが、今年夏、風邪で体調を崩し入院。闘病中だったが、回復が思わしくなかったという。

 10月27日午後6時に東京・世田谷区内の自宅で死去。通夜は31日に、葬儀・告別式は今月1日に、都内の斎場で営まれた。遺族の強い希望で、親族とごく親しい関係者のみの密葬で、天国へと旅立った。

 宮城県に生まれた永井さんは16歳の頃から進駐軍で皿洗いなどをして働き、1951年に上京。埼玉・朝霞の米軍キャンプのクラブ歌手をしていた。55年に日本テレビ「素人のど競べ」で作曲家の故・吉田正さんの目に留まり、同年12月に「恋人よわれに帰れ」でデビューした。

 ジャズ歌手を志したがあまり売れずに、歌謡曲歌手に転向。57年に「有楽町で逢いましょう」を大ヒットさせ、独特の低音ボイスを武器にトップ歌手に成長。61年には「君恋し」でレコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦には26年連続で出場するなど、華やかな歌手人生を歩んでいた。

 しかし、85年10月21日、都内の自宅で首つり自殺を図っているのをシズ子夫人(当時)が発見。一命こそ取り留めたが、会話や意識障害などの重い後遺症が残った。

 自殺未遂の数日後に、愛人が、永井さんとの間にできたと主張する子どもの養育費として数千万円を要求していたことが判明。このトラブルが永井さんを追いつめたと指摘する関係者もいた。

 シズ子夫人は長くリハビリに付き添ったが、92年に離婚。その後は姉と暮らしていた。1人で歩くことはできず、車いすで生活していたという。公の場に姿を見せることはなく、歌手復帰はかなわなかった。

 この日「有楽町で逢いましょう」の歌碑が建つ東京・有楽町マリオン前では、多くのファンが永井さんの死を惜しんでいた。戒名は永徳院道鑑慈調清居士。お別れの会などは未定だという。

 ◆フランク永井(ふらんく・ながい) 本名・永井清人。1932年3月18日、宮城県生まれ。米軍のクラブ歌手を経て、55年「恋人よ我に帰れ」でデビュー。57年の「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。59年に松尾和子さん(享年57歳)と歌った「東京ナイト・クラブ」はデュエットソングの定番に。「君恋し」で61年レコード大賞受賞。NHK紅白歌合戦には57年から26年連続出場。85年10月21日に自殺未遂後、復帰はできなかった。

参照元:スポーツ報知

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