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1970年代に活躍した4人組アイドルグループ「フォーリーブス」の青山孝史さん(本名・城下孝行)が28日午前7時、肝臓がんのため都内の病院で亡くなった。57歳だった。昨年10月中旬にがんが見つかり、深刻な病状のまま公演活動を続け、10日のステージでも気丈な姿を見せていた。この日午後に急きょ、メンバー3人が都内で会見。江木俊夫(56)は「天国から歌ってくれ」と悔しさをにじませた。

 肝臓がんを患っていることを公表してから、わずか10日あまり、多くのファンに“ター坊”と愛されてきた青山さんは天国へと旅立った。

 この日午前2時、入院先の病院で体調が急変。家族が駆けつけたが、4時半ごろに吐血し、7時に妻・めぐみさんと小学4年生の長女(10)に見守られながら静かに息を引き取った。

 青山さんは昨年10月に肝臓がんが見つかり、闘病生活を余儀なくされ、それでもコンサートに出演し続け、亡くなる直前まで歌手としての人生を全うした。02年に「フォーリーブス」を再結成。現在、3月29日の東京厚生年金会館での公演まで1年限定で全国ツアーの真っ最中。青山さんが最後にステージに立ったのは今月10日。残すところあと3日間計6公演だけで、無念の急逝だった。

 19日には長女が10歳の誕生日を迎え、青山さんは一時帰宅。おすしやケーキなどを食べ、自宅で家族と幸せなひとときを過ごし、娘に「元気になったらハワイへ行こう」と話すなど、最後まで必死に生きようとしていた。

 残されたメンバー3人はこの日、青山さんの自宅で悲しみの対面をした後に、都内で会見。北公次(60)は「印象に残っているのは、楽屋で『俺、死んでも歌いたい』と言ったこと。それぐらい歌に命をかけていた」。江木は「まさかこんな急に…。『おいっ』という感じで話しかけたけど、口を利いてくれませんでした。足をもんだらまだ温かくて。足をもんであげて『起きろよ』って。再結成するとき、最初に青山に声をかけた。初めてステージに上がったときは震えた。素晴らしい姿が目に浮かぶ。伝説と言われたグループですから。これからも守っていきたい」と、目を真っ赤に染めた。

 68年にデビューし、メンバー4人の付き合いは40年を超える。「13歳からですから」と、北はその長さを振り返った。江木は「思い出す表情はあまりにありすぎて何も言えないけど、本当に最高の男でした」。おりも政夫(55)は「また生まれ変わるとしたら、ター坊とこの3人は会える気がする」。青山さんへの思いはわずかの時間で尽きることはない。

 ツアーの残りの公演は3人で回ることになるが、江木は「今日の今日で頭が真っ白だけど、3人で構成・企画を考えてやっていこうと思う。誰が欠けてもダメ。残されたコンサート、一生懸命頑張るから、天国から歌ってくれ、と」。青山さんのためにも、最後まで走り抜ける。

 ◆青山 孝史(あおやま・たかし)本名・城下孝行。1951年8月10日、佐賀県生まれ。67年に江木俊夫、おりも政夫、北公次とともに青山孝の芸名で「フォーリーブス」を結成し、翌68年「オリビアの調べ」でデビュー。愛称は「ター坊」。「地球はひとつ」「ブルドッグ」「急げ!若者」などがヒット。77年にタレント・島田純と結婚し、97年に一般人女性と再婚。78年に解散後は司会や俳優として活躍。2002年に青山孝史に改名し、「フォーリーブス」を再結成。

 ◆先輩・あおい輝彦 「同じ時代生きた仲間」 ○…「フォーリーブス」の先輩として活躍した人気グループ「ジャニーズ」のメンバーだったあおい輝彦(61)は、2年前に浅草公会堂でのジョイントコンサートが青山さんとの最後の共演になった。最近の交流はなかったそうだが、あおいは青山さんを「同じ時代を生きた仲間」と常々話していたという。関係者は「あおいも(死去の)ニュースを知って絶句でしょう」と代弁した。

参照元:スポーツ報知
 

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