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2日に肺炎のため亡くなった漫画家の赤塚不二夫さん(本名・藤雄、享年72歳)の葬儀・告別式が7日、東京・中野の宝仙寺で営まれた。赤塚さんを肉親以上に近しい恩人と慕うタモリは弔辞を読み「私も、あなたの数多くの作品のひとつです」と涙。出棺時には「天才バカボン」の主題歌が流れ、1200人の弔問客に見守られつつ赤塚さんは天国へと旅立った。

 喜怒哀楽をあまり面に出さないタモリが、人生で初めて読む弔辞で声を震わせた。

 「今、お礼を言わせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました」

 肉親以上の関係だった2人。「お礼を言うときに漂う、他人行儀な雰囲気がたまらなかった。あなたも同じ考えだと、他人を通じて知りました」。生前は一言もお礼を言ったことがなかった。出会いから40年以上に及ぶ赤塚さんへの感謝を、8分間の弔辞に精いっぱい込めた。

 タモリは10代の終わりに「歌舞伎町の裏の小さなバー」で赤塚さんに「君は面白い、お笑いの世界に入れ」とスカウトされた日のことをはっきりと覚えている。「赤塚不二夫が来た。私は上がることすらできませんでした」。赤塚さんがその日のうちに、自宅に住むよう勧めたことに「自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。度肝を抜かれました」。

 マージャンで相手が機嫌を悪くするのを恐れツモでしか上がらなかったこと、一緒に行った海外旅行、人の良さから負った金銭的ダメージなど、数々の思い出を振り返りつつ「あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。私の父のようであり、兄のようであり、そして、時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。生活すべてがギャグでした」と、本名の森田一義として赤塚さんを悼んだ。

 タモリはこの日、葬儀開始直前の午前10時10分に到着。弔辞を読んだ後、すぐに新宿のスタジオアルタへ。出棺時にはすでに、動揺を隠しながら「笑っていいとも!」生放送に出演していた。

 タモリに続き、古谷三敏氏ら3人の弟子、葬儀委員長の藤子不二雄(A)氏の漫画家仲間らが弔辞を述べ、午後零時半に出棺。喪主を務めた長女でフジオ・プロ社長のりえ子さん(43)は涙を流しながらも「父はとっても幸せです。これからも父の作品を守っていきたい」と気丈にあいさつ。関係者650人、ファン550人の約1200人が赤塚さんを見送った。

 法名は不二院釋漫雄(ふにいんしゃくまんゆう)。先月30日に亡くなった前妻(享年68歳)と同じ落合斎場で荼毘(だび)に付された。

参照元:スポーツ報知

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